第19回
「大地の芸術祭」へ行ってきた。
この夏、家族三人で、新潟妻有地域で行われている「大地の芸術祭。越後妻有アートトリエンナーレ2009」という芸術祭に行ってきました。と言っても、あまりに規模が広くて、僕らが実際に見たところはほんのピンポイント、津南町のマウンテンパーク周辺だけです。そこに何があるのかといいますと、以前、南大沢学園で(正確に言えば、南多摩地区学園開設準備室で)働いていて、突然、「芸術家になる!」と言って学校を辞めてしまった滝沢達史さんという方が、この芸術祭に、ご自身の作品「やまもじプロジェクト」?をここで発表しているということなのです。「やまもじプロジェクト」とはいったい何だろう? 興味津々で、私は(私だけが?)津南を訪れたのでした。
いきなり押しかけたので、忙しい滝沢さんは現地にはいらっしゃらなくて、私たちは残念ながら滝沢さんにはお会いすることはできませんでした。けれど仲間の方と少しお話ができ、そして、やまもじプロジェクト用の白布を買ってそれに願い事を書き込むことができました。それを、山の斜面に材木でこしらえてある「山」文字の土台に括り付けに行くのです。
(ちょっと、七夕の短冊か、あるいはおみくじを木の枝に結びつけるみたいな感覚です。)ただ、僕らが山に登ってみると、「山」文字の土台の部分は既に白布でいっぱい(のように見えたの)で、その代わり、「山」文字の上の部分に作られた塔のようなところに、私たちは書き上げた白布を括り付けることにしました。「健康 元気 優しい気持ち ルーとこれからもずっと楽しく遊べますように!」と、てんこ盛りで私の夢を書いた白布が、津南の青空に翻りました。
ここでちょっと、滝沢さんの「やまもじプロジェクト」について紹介しましょう。それについては、滝沢さんご自身が「やまもじプロジェクト」のブログで(http://www.yamamoji.org/about.html)で語っている箇所があるので、そこを引用するのが一番かと思います。
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今から20年前、私は津南町で生活をしていました。私の記憶にあるこの町は稲穂の香りが風に乗り、水は冷たく、濃い緑の山々に囲まれた所でした。そして、春になるとマウンテンパークスキー場に隣接する丸山には、まだら模様の残雪で「待」という形の白い文字が浮かび上がりました。それは単なる偶然の現象なのですが、幼少の私にはその文字が、計り知れない謎に包まれた人為的行為か、もしくは雄大な自然の大きな遊びのよう感じられました。
大地の芸術祭2009の作品制作にあたり、私の原風景であったこの文字を再現したいと考え、日本一の河岸段丘を一望することのできるマウンテンパークスキー場の斜面を使って、“1万人の願いを1万枚の白布で繋いで文字を作る”『やまもじプロジェクト』を行うことにしました。文字は新たに一般公募によって選び、津南町の風景にふさわしい文字が夏山に白く浮かび上がります。夏の期間、町民と町に関わる全ての人が協力しながら風景を作り、その行為は町の様々な場所から見ることができるでしょう。そして、9/12に1万人の願いを天に届ける送り火を行い、津南の未来へ希望の火を灯します。
今日まで発展を遂げてきた日本。その姿は果たしてこれで良かったのでしょうか? 繁栄の影に開発から取り残され、過疎化した農村部はどこに向かえばいいのでしょう。このプロジェクトは一夏の些細なアートイベントですが、町民と町外の参加者が一つの目的に向かって協働し、1万の願いを一つの形に作ることができたとしたら、我々の未来にも、まだ多くのアイデアが残されているかもしれません。一粒万倍。一粒のお米が一万粒のお米へとなるように、このプロジェクトが万倍の大きな実りとなりますように。
滝沢達史
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滝沢さんの、故郷を愛する気持ちや、人を想う気持ちが、じんじん伝わってくるではないですか。それで私はついふらふらっと、滝沢さんの故郷の河岸段丘を見たくて、そしてその山に泰然としてそこにある「山」の文字を見たくなって、帰省のUターンで混雑する高速道路を縫って、ひりひりと残暑が肌を刺すように厳しい中、津南の地に立ったのでした。(山に浮かび上がる文字は、今年1月末に、やはり原点回帰ということで「山」という文字に決定していて、それを私は知っていました。)
滝沢さんの「やまもじプロジェクト」は、おわかりのとおり芸術作品であって、かつそれにとどまりません。現在も進行形のそれは、人を巻き込み、人の流れを生み出しながらも、いったん9月にはフィナーレを迎えるというのですが、さてその後は・・・・? ある意味、その後からこそ、本当の意味の「やまもじプロジェクト」の始まりなのかもしれませんね、滝沢さん。
私たちは、津南町にある「ひまわり広場」というところから、離れて河岸段丘の「山」の文字を眺めてみました。ひまわり広場には、50万本ものひまわりが満開で、県内外から多くの観光客が訪れていたとかいうそうです。実は、私たちがひまわり広場に寄ったのは、東京に帰る日、月曜日で、既にイベントは前日の16日で終了しており、午前中からはぼちぼちテント等の撤収作業が行われていたところでした。祭りの後の静まりかえったイベント会場から、「山」文字を眺めていて私は、滝沢さんの言葉を思い出してもいたのでした。
ところで、滝沢さんの「やまもじプロジェクト」を見た16日、私たち家族は津南のマウンテンパークからは少し離れた秋山郷(あきやまごう)という温泉郷の入口にある、結東温泉「かたくりの湯」という宿に泊まりました。そこは、廃校になった小学校の校舎を宿舎に改築した施設でした。かたくりの宿は、1992年のオープン当初は、地元住民が結成した管理組合の直営施設だったそうですが、その後は人材難のために募集した個人の経営となっていたそうです。それが、二度の地震被害や豪雪などで客足が落ち込み、前経営者が2008年3月末で経営から退いたのに伴い、休業を余儀なくされていたのでした。しかし、今年の芸術祭開催に合わせて再び施設の整備改修もなされたそうで、芸術祭と連動して、この夏からの営業再開となったのでした。運営を引き継いだのは「NPO法人越後妻有里山協働機構」だそうです。
今年の「大地の芸術祭」を巡るポイントの一つとして、芸術作品と廃校とのコラボレーションがあげられています。校舎全体が作品に生まれ変わった学校、校舎内が展示室・美術館となった学校、校舎が改装されて宿舎となった学校、等々・・・。芸術祭では廃校プロジェクトとして、今年までに廃校となった13校に再びコミュニティーの明かりを灯すべく、廃校再生により力を注いで活動しているのだそうです。(また、廃校だけではなく、過疎化や中越大震災などによって増加した空き家も同様に、美術館・芸術作品として再生され、情報を発信する場ともなっているようです。)私は、いろいろ見て回ることはできませんでしたが、以前学校だった場所がどう変わってしまうのか、どのように利用されてどうなっていくのか、多少の興味があって、「かたくりの湯」に一泊することにしたのでした。
「かたくりの湯」は、妻の心配を良い方に裏切り、なかなか小綺麗な宿でした。管理人の女性の方は、芸術祭期間中は東京からここ秋山郷に来ているということでした。朝晩の料理もたいへん美味しくいただきました。プールの中と、体育館(天井)に、芸術祭参加作品が展示してあって、それがかえって微妙な寂しさを演出していました。それから、校庭で定期的に音の出ていた装置がありましたが(それも作品のうちなのですが)あれは余計だなぁと、素人ながらに思いました。宿には、私たちの他にも小さな親子連れが来ていて、やっぱり学校には、子どもの元気な声と姿が、ただそれだけで絵になるなぁと、しみじみ感じたのでした。こういう場所で、冒険学校のようなことをしてみたいなぁとも、ふと思いました。
翌朝になってから、宿の周りをぶらぶらと歩きました。美しい棚田を眺めながら、ちょっと渓谷へ下りていけば吊り橋があり、ちょっとした朝の散歩にはちょうどいいです。吊り橋は見倉橋という名前の美しい吊り橋で、映画のロケ地にもなった吊り橋です。水が綺麗で、山も緑で、秋山郷は、そんな場所でした。
東北から始まった越後妻有への旅は、本当に駆け足でしたが、なんだかわりと充実していました。夢を追いかける人の姿を見させてもらって、ちょっぴり自分の夢も思い出させてくれたような、暑い津南の夏でした。

