10.11 地球時代の選択肢

第19回             

サッカーを見たかった南アの青年

「プロのサッカーの試合を見たい」

これは、達成するのが、ものすごく困難な希望でしょうか。

例えば、日本に住んでいたら、これはそんなに大変なことではないのかもしれません。

でも、もしもあなたが、日本に住んでいたとしても、サッカー場がある地域から遠い場所に住んでいる小学生の子どもだったら、この希望は、結構“大変な”こと、と区分けされるかもしれません。

南アフリカのダーバンに住んでいる私にとって、プロのサッカーの試合を見に行くのは、とっても簡単なことであり楽しいことです。

ましてや、今、私は、南ア初の日本人プロサッカー選手、村上範和選手の日本人応援団長のような役割もしていますので、もう、試合場に行けば、現地の他のサポーターの人たちと、目で合図を送り合うような関係(?)にまで存在感が増しているのです。村上選手と私の交流については、私のcafeglobeの連載記事からどうぞ。http://www.cafeblo.com/safrica/category-074ed646c52439e02330506d28113953.html

でも、私と同じダーバンに住んでいているのにも関わらず、この「プロのサッカーの試合を一度この目で見てみたい」が、ある青年にとっては、それこそ、命が消える前の最後の願いとなるくらい困難なことだったのです。

Simiso Mjiwaraは、末期ガンの患者です。彼は、ダーバンの街中にあるホスピスに入院していて、毎朝、その日の調子に合わせて、本当にその日その日を大切に生きています。

私とスミソのつながりは、スミスのお姉さんが私の友人である心理学者のサリーの同僚だったことから来ています。サリーは、私が村上選手を通じて、いま、サッカー選手たちとの交流があることを知っていたので、このスミソの希望の手助けを私に依頼してきたのです。

彼の病気は進行性のもので、ガンが発症してからわずか二年しか経っていないのですが、この原稿が皆様に届くころにはもう彼の命は力尽きているかもしれません。

彼のガンはいま、全身に転移していて、特に顕著なのは、顔の表面にできた顔の2倍の大きさのある腫瘍です。それは毎日確実に大きくなっていて、医療関係者は、この腫瘍が彼の喉を圧迫し始めると、もう手の施しようがない、と話してくれました。

素人的に、その腫瘍を切除できないのか、とも思いましたが、そういった外科的治療は大量出血の可能性があり不可能だということでした。Simiso at Hospice 009.jpg
さて、スミソは、この病気が発症する前は高校の11年生で、放課後はサッカーに夢中の普通の青年だったのです。
その彼の“希望”が、「一度でいいからプロのサッカーの試合をスタジアムで見てみたい」だったのです。

そこで、私は前出の村上選手と相談し、スミソを村上選手の所属するダーバンを本拠地とするゴールデン・アローズの試合に彼を招待したのでした。

当日、上手に顔の腫瘍に病院のスタッフが包帯を巻いてくれ、しかも彼はその上に香水を振りかけて、なるべく悪臭がしないようにと気をつかって私の車に乗り込みました。

当日の試合、残念ながら村上選手の出場はなかったのですが、ゴールデン・アローズが得点をするたびに飛び上がって喜ぶスミソを見て、胸が熱くなりました。HIV/Aidsの患者さんとのお付き合いが長い私は、末期の患者さんたちの毎日を見てきていて、何が大切か、ということを私なりに学んできています。

大切なのは、患者さんたちが、一日の大半を過ごすベッドの毎日の中でも、何か、“喜ぶ”という行為があること。“喜び”は、彼らの単調な生活の中では、大変なよい波及効果があるからです。

ある一人の末期の患者さんが、ほとんど意識のない状態だったのに、彼女のお孫さんが病室にお見舞いにくるようになってから、症状が劇的に改善したことがありました。毎日、きちんとベッドの上に座って、そのお孫さんがくる時間を楽しみにするようになったのです。お孫さんの学校の休暇が終わって、頻繁にお見舞いに来られなくなって、ほどなくこの患者さんは息を引き取りました。

この時、そこにいた南アの医療関係者は、これがまったく「普通のことよ、人間はそういう生き物なのよ」と私に話していたことがとっても印象深い思い出となっています。

さて、スミソ、ゴールデン・アローズがゴールするたびに飛び上がって喜んでいましたので、その日は体力的には消耗したのかもしれませんが、彼の生きて行く上でのその時間の“質”は、確実に数レベル上がっていたはずです。

会場では、一般客にじろじろ見られるかな、とも心配したのですが、そういった心配は、まったく必要ありませんでした。かえって、2名の観客が、堂々と彼と私の目に来て、「その腫瘍はどうしたのだ。生まれつきなのか?それとも病気なのか」と正面から聞いてきたのです。simiso at GA game 021.jpg
このストレートさはどこから来るのでしょう。でも、ひそひそ話をされるよりはよっぽど気持ちがよく、私が「彼は病気によってこの腫瘍ができました」と伝えると、「そうか、それは大変だね。神様のご加護がありますように」とお祈りまでしてくれました。
村上選手は、その次の日曜も私たちと一緒にスミソを見舞ってくれました。その時、娘の翔子も一緒に居たのですが、翔子が彼女の作った手作りのマフィンを渡すと、「あなたたちは私を幸せにしてくれる」と言ってくれたのです。私は、「スミソ、あなたはこうやって生きていてくれることで、あなたこそ私たちを幸せにしてくれている」と伝えました。こんな状態になっても人に感謝のできるこの青年の精神に頭が下がります。

スミソの命は今にも消えそうなのですが、できるだけ彼の希望するものを届けながら、彼のそばでその最後の日まで彼のために何らかの支援ができたらいいな、と考えています。