第16回
異質なメンバーを受け入れるとは
吉村峰子
私たちが南アフリカで暮らすようになって7年目が過ぎようとしています。この間、私どもの上の息子は南アの私立学校を卒業した後、地元の国立大学の建築学科に進学し、現在はその建築学部のかなり厳しいカリキュラムで勉強しています。南アの大学は専門教育が売り物です。中でも建築学部はカリキュラムが密で、朝の8時代から午後4時までが講義、その後はプロジェクト作成などで、週の途中は睡眠時間が数時間という厳しい内容です。
彼が彼の卒業した高校に転校したのは、こちらの学校制度でいうと、Grade 9という日本の中学三年生にあたる時期でした。Grade 12まである高校は、Grade 8から始まり、息子は高校の第二学年目に編入したことになります。
日本でも、小学校から大学、ひいては職場にまで、「いじめ」が存在します。それは南アも例外ではありません。
特に、1994年までは人種隔離政策(アパルトヘイト)が続いていたため、南アは「人種」による棲み分けがまだまだ顕著な社会現象として存在しています。
例えば、現地職員を1万人近く雇用している日系の自動車会社などでも、昼食時、それぞれの人種の“島”ができるようです。黒人は黒人、白人は白人、インド人はインド人とグループを作ります。
そういった大人社会を忠実に模倣するのが子どもたち。でも、子どもたちは、変化に対して柔軟なことも事実です。
息子が編入した高校は、白人が圧倒的に多い高校でした。この国の8割を占める黒人学生はほんの一握り。私立の学校とはいえ、これだけ学生の人種が偏っていることに親も子もショックを受けました。
私たちがこの学校を選んだのは、ただただ単純に家の一番近くにある私立学校で、息子の5歳下だった娘も一緒に通学できる学校を選んだだけだったのです。南アに移住したばかりだった私たちは、学校の生徒の人種の割合を確かめる必要がある、という認識にかけていたのでした。
そして、この学校で起こったことは、残念ながら、子どもたちが息子を「いじめの対象」とした、というよりも、一部の教職員からの彼への「いじめ」に近い対応でした。
もちろん、息子も友人の輪に入ることにいろいろ苦労はありました。今でも忘れられないのは、入学して1年ほど経った頃のこと、学校から呼び出しがありました。息子が、「性的不品行」をしたので、学校に来い、ということだったのです。
「性的不品行?」とかなりびっくりしながら、本人に何をしたのかを聞きました。すると、息子の説明にさらに驚きました。
事の顛末はこうです。
その頃、男子学生の間で、DARING(挑戦ゲーム) という遊びが流行っていました。これは、一人の生徒に、例えば複数の生徒が、「あの木に5秒で登れ」とか、「先生の部屋に石を投げ入れろ」と言った、“挑戦”をさせるものでした。
もともと、この英語の単語、DARE は、危険なものに挑戦する、という意味があるのです。
息子は、そのDARING を同級生の15人にこれをさせられたのです。そしてその内容が、ものすごくお粗末で、学校に子どもを連れてきた保護者の車に向かって、ズボンを下ろして裸のお尻を出す、というものでした。
これは、英国でも、南アでも酔っぱらった大学生などがする、「MOONING(お尻を月に見たせた遊び)」と呼ばれる悪ふざけです。
これをそのまま言われるままにした息子も息子ですが、その頃、南アの学校生活に溶け込もうと彼にしてはかなりの努力をしていたので、その心情を考えると胸に迫るものがありました。彼は、そういった悪ふざけを好んでするようなタイプではないからです。
私は事の次第を理解するうちに、一つの疑問が出てきました。
これは、同級生の中に必死に溶け込もうとする息子の処世術でもあったわけで、行為自体は愚かなことです。が、それをDARINGというゲームで息子にさせようとした同級生たちの方はどうなるのか、ということです。
何故なら、学校側は、この息子の行為を非常に重く見ていて、息子には停学数日間、始末書を書く、という処分も決定されていたからです。そして、これをさせた同級生には何の処分もありませんでした。
父親とレソトをトレッキング(2009)私は学校側に、「これはある種の“いじめ”だと思う。同級生からのプレッシャーを敢然とはねのける力は息子にはまだありません。“いじめ”には、加害者と被害者がいて、これをさせた同級生には何の処分もないのは承服しかねます」と伝えました。
すると、一人の生活指導の先生が、「南アでは、こういった挑発に乗った生徒が悪くて、他の生徒には罪はないのです。彼にはそれを断る権利はあったのだから。それに、誰がそれに参加したかもわかりません」とまくしたてました。
でも私は納得できず、「それはおかしいですね。誰がしたかは、複数の目撃者がいるではないですか」と追及しましたが、副校長にあたる先生が意見を述べました。
「ミセス・ヨシムラ、南アフリカでは、“犯人”は一人でいいのです。今回は彼が犯人で、処分を受けます。実行犯でない生徒を我々が間接的に関わったから、という理由で彼らを処分したら、私たちが彼らの親からものすごい攻撃を受けてしまいます」
私はこれを聞いて、これは「少数派に対するいじめ」の可能性がある、と直感しました。そして、カンジ(息子の名前)が、南アフリカで受け入れられるためには、こういったことも、はねのける必要があるのか、とも思い正直愕然としました。
ただ、これを「性的不品行とするのはおかしい。これは単純な悪戯だと思う」という意見は強く表明しました。が、先生がたは、学校側の認識を変更する気はないようでした。
学校を出て、息子とも話しましたが、彼も自分のしたことが愚かなことだったと思いながらも、自分の受けた罰が「性的不品行」であった、ということにはショックを受けていました。
この話には後日談があり、この生活指導の先生は、日ごろから息子の態度が気に食わなかったということが判明しました。息子は、日本の学校と各地のインターナショナルスクール育ちです。彼は、自分が不思議だ、と思ったことは口にする態度を容認する学校文化で育ってきたのです。
ところが、南アの学校は、どちらかというとまだまだ先生の権威が幅を利かせているところがあります。先生への口答えは非常に嫌われます。まして、先生の言うことに「意見」を言うような生徒は、「生意気である」というレッテルを貼られてしまうのです。
いま思い出してみても、あれは、「異端児」であった、息子への先生方のある種の「仕返し」でした。なぜなら、この後も、息子は教員から、「カンジは日本へ帰ればいいのに」といった陰口をきかれていたからです。
ただ、皮肉なことに、そういった先生の偏狭な態度は、最後の方は「自分たちの仲間」と捉えるようになっていた、友人たちからの情報で知ることになったのです。息子は卒業するころには、彼を理解してくれる友人に囲まれるようになっていました。
「異質なものを受け入れない、排除する」、と言う姿勢が、教員の中にあることは残念でした。が、異質なメンバーを受け入れて、一緒に勉強するうちに、子どもたちはそれなりにお互いの関わり方を学んでいたのだ、とほっとしたことを昨日のように思い出します。
大学University of KwaZulu Nata 夜景

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