第21回
峠の山に登る
先月、一月十九日、笹子の雁ヶ腹摺山へ登ってきました。笹子の山は地味ですがどれも印象深く、静かな山登りが楽しめます。この雁ヶ腹摺山、実はこの他にも二つあります。旧五百円紙幣で有名な「雁ヶ腹摺山」(大月の北西に位置します)、それと「牛奥雁ヶ腹摺山」(大菩薩峠の南に位置します)の二つ。どれも頂上からの展望は素晴らしく、特に富士山はよく見えますが、今回登ったのは頂上から笹子峠へと下山するコースです。
無人の笹子駅を降り、甲州街道を西へ30分ほど歩くと畑の横にその登山口はあります。以前登った時は手製の今にも倒れそうな簡単な標識でしたが、今では鉄製の立派な標識に変わっていました。この笹子雁ヶ腹摺山は大月市が選定する秀麗富嶽十二景にも選ばれており、そのため色々整備されているのでしょう。さて、暗い植林帯を登っていくと樹林の様相が明るい広葉樹林へと変わってきます。冬は葉も落ち日の光が燦々と降り注ぎます。この日は風もなく穏やかな天候。まるで温室の中を歩いているようでした。まぁ、この辺りが冬の低山ハイクの醍醐味と言ったところでしょうか。暖冬予想が一変して寒く大雪のニュースが伝えられる中でしたが、この日は雪もほとんどなく、日陰にわずか残るのみ。スパッツも付けることなく、やや拍子抜けでしたが、春の到来を感じさせるような中を登るのはやはり楽しいもの。歌の一つでも出ようかといったところです。アップダウンを繰り返し、木々の合間から頂上が見えてきます。やがて最後の登りと思しき箇所へ。まぁ、ここから頂上まではペースを上げていけば概ね十分、ゆっくり登っても十五分も見れば十分と踏んで登りだしたのですが、やはり山は低山と云えどもそんなに甘いものではありませんでした。胸突き八丁の急登を喘ぎながら登ることおよそ三十分。いやぁ、疲れました。すぐにも登れると思って、でも中々着かない時ほど疲れることはありません。いやいや参りました・・・。何事も侮ってはいけません。
頂上直下にある電波反射板から下を見ると眼下に今朝出発した笹子の街並みが見えます。そこから頂上はすぐそこです。猫の額ほどの狭い頂上は正に三百六十度の展望。東には扇山や滝子山、北には大菩薩峠へと続く峰々、西は八ヶ岳や遠くには南アルプスが望めます。そして南を見ればお約束の富士山がドーンと聳えています。これほど展望の良い山はそう滅多にあるものではありません。登った人だけに見られる絶景です。
笹子雁ヶ腹摺山の頂上には幾つもの標識が立っています。ここから北へと稜線を辿れば大菩薩峠まで行けます。南西に下れば笹子峠。頂上直下の登りで思いのほか時間がかかってしまったので、展望を満喫したらすぐに出発。本当はここでコーヒーブレイクと行きたいところですが仕方ありません。まぁ、頂上でのお楽しみはまた今度来る時の宿題としましょう。下山路はやせ尾根の急坂からはじまります。右側の斜面がスパッと切れているところもあり、所々張られているロープにつかまりながら慎重に下ります。やがて傾斜も緩やかになり歩きやすくなって、いくつかの小さなこぶを越えると突然目の前に大きな送電線の鉄塔が現れます。笹子はリニアモーターの実験線があるためかこのような巨大な鉄塔がやたらとあります。現在地を確認するには便利なのですが、景観はぶち壊しです。もう少し何とかならないのかと腹立たしくもあります。社会が便利になることは良いことなのでしょうが、その代償は小さくありません。これからはそのバランスをとることが大事なのでしょう。利便性だけを追求していれば良いという時代はもう過去のことです。
午後の陽ざしの中をゆっくり、のんびり下っていくとやがて最低鞍部に着きます。そこが笹子峠。かつての甲州街道の難所です。西へ下れば塩山から甲府へと続き、東へ下れば笹子から大月、その先は東京。今は往来も僅か登山者くらいとなり、ひっそりと静まり返っています。峠を東へ五分も下ると笹子トンネルに出ます。解説のプレートを読むと、このトンネルが開通したのは昭和になってからのこと。昭和の遺産と言ったところでしょうか。登山道はここまで。後は舗装された道を下っていきます。途中道から外れ、沢沿いの道へ入っていくと「矢立の杉」があります。そばに杉良太郎の歌碑があるのにはビックリ。この矢立の杉、今は保護のため柵が設置されており、直接幹に触れることはできませんが、下から見上げると天を衝かんばかりの巨樹です。北斎や広重の作品にも描かれていたといいますからはるか昔からその名が知られていたのでしょう。悠久の時間を感じます。時の流れ、自然の大きさ、そして人間の小ささ。色々考えさせられます。
道はここから沢沿いに下っていきます。途中明治天皇の御座所もあり、この辺りかつての街道の賑わいを感じさせます。やがて、再び舗装道に出てさらに下ると、午前中に登りだした登山道入り口に着きます。振りかえれば笹子の山々を仰ぎ見ることができ、充実した一日を実感できます。ここから駅までは三十分ほど。駅に着くころにはとっぷりと日も暮れていました。

第20回 山の楽しみ
HOME
イベント