'10.8.冒険する科学者

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第22回             

闇のこちら側とあちら側


今から1年前、夏至の頃の出来事である。カナダ西海岸の辺鄙な一角にある、太平洋に面した人口200人の小さな港町で傷害致死事件があった。地元住民の家で誕生日パーティーが開かれており、地元の男とはるばるナナイモからやってきたよそ者の男が酒に酔った末に口論を始めた。その家の女主人である女性によそ者の男がなれなれしくしすぎたというような、つまらない理由だった。2人は決着をつけるために外へ出て行ったが、どちらも帰ってこなかった。朝になって、庭のバルコニーに倒れている地元の男を他の招待客が発見し、数人が懸命に救急措置をおこなったが、あおむけにひっくり返っていたその男は既に冷たくなっていた。加害者の証言によると、どつき合いの後にストレートのパンチが決まり、相手が倒れたのでその場を立ち去ったという。直接の死因は打撲傷でなく、心臓発作だった。ふたりとも泥酔状態だった。

 死んだ男はランディといって、僕の友だちだった。この小さな港町の研究所で夏を過ごすようになって以来、現地でいちばんの友だちだった。ランディは研究所の食堂のチーフで、巨大なまずみたいな顔をして、くじらのような太鼓腹をゆすって歩く。いつも食事を残さずに食べ、何度もお代りをする僕を気に入ってくれて、地元を引きまわしたうえに、自宅で豪勢な手製の海産物料理を振舞ってくれた。昔は遠洋航海漁船の漁師をしていたこともあって、でかい身体をゆすりながら武勇談を語ったり、とんでもない話を始めて僕を赤面させては喜んでいた。地元の居酒屋に連れて行かれた時は、そこのウェイトレスを口説き落とせとさんざんけしかけられるし、僕が食堂で女の子と座っているのを見るとわざわざやってきて仲を取り持とうとするし、まあとにかくおせっかいではあるけれど、茶目っけある友だちだった。
 ランディは賢いラブラドール・レトリバーと暮らしていて、その犬の名前は「キーシャ」という。僕のガールフレンドのニックネームも「キーシャ」なのでそのことをランディに言うと、「おい、オレの犬のことをそんな風に見るんじゃない」と怒鳴る。こんな調子だから、学生にもスタッフにも近所の人にも、みんなに好かれていた。彼のことを「ランディ」と呼んでいたのは僕たち研究所の人間で、地元では名字の「ゾナー」で通っていた。「ねえテット、昨日ゾナーが大漁だったそうだから、行ってえびを分けてもらいな」といった具合である。

 僕はランディが死んだことを知らなかった。その朝、ニュースは瞬く間に地元を駆け巡り、研究所でも大騒ぎになったが、ニュースの真偽を確かめると、みんな重苦しくなって黙りこんでしまったのである。ちょうどその朝はボートで海に出ていて、昼ごろに帰ってきた時に研究所に半旗がひるがえっているのを見て「誰が亡くなったんだろう」と思ったことを覚えている。みんな僕が知っているものと思ってその話題には触れなかった。
 僕がランディの死を知ったのはその夜のことである。夏至の夜は町から離れたビーチで音楽祭があり、地元の人たちや研究所の人たちが集まっては、バンドの演奏にあわせて砂場で踊ったり、酒を飲んだり、火をおこしたりしながら夏のお祭り騒ぎを楽しんでいた。星空と夜空に浮かんだ森の影で、シェイクスピアの「真夏の夜の夢」のラストシーンを現代的に解釈したような光景だった。僕もその中に混じっていたわけだが、地元の高校生で、ランディつながりの友だちだったターニャが僕のところにやってきて「ランディのことはお気の毒だったわね」と水を向けた。そこで初めて何が起こったのかを聞いたのだ。僕は急いでランディの同僚だったローリーのところに行ったが、ローリーもビール缶の底で砂をかきまぜながら泣いていた。朝からずっと泣いていたのだ。
「ランディにとっちゃ、このお祭りがいい葬式だよ」
と言って彼女は僕を抱きしめた。
冒険する科学者1.jpg僕はしばらく波打ち際をあっちに行ったり、こっちに行ったりしていたけれど、突然色んなことが我慢できなくなった。バンドはますます熱くなって、U2を演奏し始めたけれど、僕の足元では真っ黒で冷ややかな波がやってきては、後ずさりしていった。突然のことでランディの顔をうまく思い出すこともできなかった。つい3日前にはランディの自宅で、近所の人も呼んで海産物食べ放題の騒ぎをやらかしたばかりなのだ。その2日前には、犬のキーシャも連れて貝掘りに行ってきたばかりなのだ。
 僕はお祭り騒ぎに戻りたくなかった。かといって、端っこに引っ込んで落ち込んでいたくもなかった。僕がぶら下げていたのは6パックのビール缶だけだったが、それを飲むという気もしなかった。でも何かをしなければならない、と僕は思った。とにかく何かをすることが僕に求められている。僕なりの供養をしなければいけない。
 僕は海に背を向けて、海岸沿いの森の中へ入っていった。

 この地域は国立公園に指定されていて、クマやピューマの住む原始の森が広がっている。現にクマの親子が僕の研究室のすぐ裏手に住みついていたし、その夕方に車に乗せてもらってビーチに来る途中でも2頭のクマを見たばかりだった。その1週間前には、遊んでいる2歳の男の子を狙ってピューマがある家の裏庭に忍び込んだのが見つかっていた。この森を抜けて5キロほど行くと、研究所にたどりつくことができる。その時僕の頭の中にあったのは、理屈も何もなく、森を歩いて研究所に帰るんだという決心だけだった。
 藪をやみくもにかきわけて通り抜けながら、懐中電灯もヘッドライトも持ってこなかったのは失敗だったなと思った。海岸の星空は明るかったのに、森の中は真っ暗で、自分の手も、自分の鼻先も見えない。何も見えない森の中を手さぐりで進んでいると、自分がどこに向かっているかもわからないし、自分がどのぐらいの距離を歩いたかもわからない。森はじっと沈黙して、僕が脚を踏み外してどこかに転げ落ちるのを待っているように思えた。倒れた木に転び、棘のある草に顔や手足をひっかかれ、生い茂った藪に行く手をはばまれながら、見えない道筋を闇の中につけて、その先に向かってめちゃくちゃに突き進んだ。暗闇の中では、ものが見えない分だけ聴覚と嗅覚がとぎすまされる。自分の皮膚が引き裂かれる音も聴くことができるし、ひっかき傷から流れる血の匂いも嗅ぎつけることができる。僕は生きているし、ランディは死んでいる。僕は怖くない。

 長い時間がたって、登山道に突き当たった。そこからは木の隙間から見える星をめじるしにして、手探りをしながら登山道を歩き、しばらくしてようやく車道に出た。いちど車道に出ると、満月に近づいていた月明かりのせいで星の光はかえって弱まった。その代わり、山の陰から顔を出してのぼってきたばかりの月が、森の輪郭を浮かび上がらせていた。枝を四方八方にのばして押し黙ったままの真っ黒な木々は、闇にまぎれて行軍する亡霊の夜襲部隊みたいだった。そこからさらに歩いていくと、つい最近伐採されて荒れ地と化した森の一角に出くわした。その時になってようやく、何も考えることのできなかった興奮状態から解放された。
 これはまるで地獄めぐりじゃないか、と僕は思った。僕の方が死んだ人間で、ふらふらと死出の世界への旅を続けているみたいだ。トンネルやら、花畑やら、三途の川が出てこないだけだ。その時の僕は死者の世界へ旅立ったランディの道連れをつとめていた。

 でもその荒れ地の中を歩いていくと、その光景が本当に僕の外にある暗闇なのか、僕の中にある暗闇なのかがだんだんわからなくなってきた。この風景は僕の外にあるものだ。でもそれと同時にこれは何度も何度も見たことのあるものだ。もしかしたらこれは僕の心の中に広がっている世界をそのまま外側にひっくり返したものかもしれない。心の奥底に眠っていた暗闇や、深い森や、荒れ果てた土地の中を僕はくぐり抜けているのかもしれない。僕を取り囲んでいる闇は、実は僕自身の闇なのかもしれない。そこでは蓋をしてしまった記憶や、果たされなかった約束や、出口を見つけられなかった気持ちが、何年もかけて夜の雪みたいに積もっているのだ。夜空に枝をのばして浮かび上がる杉の大木も、無造作に切り開かれた伐採地も、どこかで我慢強く鳴いているフクロウも、すべて心の中から出てきたものなのだ。友だちをその森の中で独りぼっちにさせてはならない。僕は息を切らして、傷口から血を流していたけれど、独りではなかった。僕は僕自身の闇をくぐり抜けようとしていた。

 あれから1年がたったけれど、暗闇のこちら側はあちら側とほとんど同じ世界だ。あの体験を境にして何かが変わったということもない。はっきり言えるのは、僕の友だちはこちら側にはいないという事実であり、あの時には歩いて森を抜ける以外に選びようがなかったということである。何かを変えるためでも、解決するためでもなく、ただ単に僕が僕で冒険する科学者2.jpgあり、ランディが僕の友だちだからやらなければならなかった。そしてあのパチェナの森は僕が久しぶりに目にした自分自身の闇だった。この夜を境にして、春先からずっと続いていた僕の病状は悪化の一途をたどり、その後フィールドに出て、ますます重くなって帰国し、入院してクローン病だと診断されることになる。
 地獄めぐりをする時は世界が自分の中にあり、自分が自分の外にある。たいていの場合、それは恐ろしい記憶として心に残る。14歳でオーストラリアのブリスベンを独りで歩き、行く先もなく夜の公園に腰をおろした時や、15歳でアメリカに降り立った初日、ロサンジェルスのゲットーにある夜行バスの発着所で浮浪者にかこまれながらバックパックにしがみついていた時、真夜中にアメリカ北西部を横断し、朝の3時に右も左もわからないモンタナの田舎町のバス停で降ろされ、独りぼっちで取り残された時も、僕はすべて覚えている。それと同じように、森は今でも僕の心の中の風景としてはっきり残っている。しかしたったひとつだけ違う点がある。今回は、僕はその地獄めぐりを自分のためだけでなく、友だちのためにやったということだ。それが実際に何を意味しているのか、僕にはまだわからない。あの夜の体験を書くだけでも丸一年が必要だったのだから、それを理解するまでにはもっと時間がかかるかもしれない。僕はこれからもあの森のことや、死んだ友だちのことを考え続けることになる。押し黙った大木は根を降ろし、目を光らせる獣たちは藪へ身をひそめ、陰気な月は夜空に昇ってしまった。そのようにして、僕の世界の地図帳には決して破られることのないページが新たに付け加えられ、地道な索引作業が続けられるのである。