2014明日への架け橋ツアー韓国

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97B792F6955C.jpg2010年の2回目から4年おいての、「第3回 日本と韓国 村山さんナヌムの家の話.91BA8ER82B382F183i83k838082CC89C682CC98b(1).jpg明日への架け橋ツアー」です。韓国は日本に一番近い外国です。両国の間には、過去に日本が韓国を侵略した悲しい歴史があります。最近の領土問題や政治問題で両国の間はさらに冷え込んでいます。だからこそ、もっとお隣の国のことを自分の目で見て、肌で触れて理解することが大事だと思います。今回予定していた若い2名がインフルエンザのために参加できず8FC493F782Q.jpg残念でした。お一人は下関まで来て発熱で、東京に戻りました。結果9名のツアーになりました。下関から釜山にフェリーで渡り、年末から年始の韓国をめぐりました。メインは「ナヌムの家」訪問。元「従軍慰安婦」の方々が住む社会福祉施設です。今回のツアーには退職後、時々日本からナヌムの家を訪れてボランティア活動をなさっているKさんが参加されました。
 釜山に到着し、観光した後、以前研究員として「ナヌムの家」のハルモニ(韓国のおばあさんの敬称)たちと長く暮らしを共にしてきた村山一兵さん(地球冒険学校アドヴァイザーです)のレクチャーを受けました。村山さんは現在は釜山に在住です。

ナヌムの家と村上一兵さん

91BA8ER82B382F183i83k838082CC89C682CC98b(1).jpg村山一兵さんは、2006年からナヌムの家の歴史館研究員として5年間勤務していました。現在は、釜山にある在韓外国人支援団体で勤務し、韓国に在住している外国人の生活や医療などの支援に忙しい毎日を過ごしています。年末の韓国との架け橋ツアーで、一兵さんにお話を聞くことができました。
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ナヌムの家に関わったのは、2003年から04年に交換留学生として、韓国の大学に留学した時です。その時に、ボランティアでナヌムの家を訪問しました。そのことがきっかけで、ナヌムの家の職員になり、ハルモニたちと生活を共にしながら、来訪者への歴史館の説明やハルモニの証言の通訳などをしました。
歴史館の説明を行う時には、日本の軍隊が「慰安所」を作り、女性たちを連れてきてどのような扱いをしたのか?どういう被害にあったのか?その人たちはその後どうなったのかなどを丁寧に説明するようにしていました。ハルモニの証言の通訳という仕事の難しさには悩みました。被害を抱えてきたハルモニたちにとって通訳を信じられないとか歴史を知らないのに通訳を任せられないという方もいます。実際に最初の頃は「あなたは歴史を知らないから通訳ができない。」と通訳を拒否されたこともあります。
 ナヌムの家の訪問者や講演会などで、ハルモニたちは証言をします。中にはどうしても話せない方もいます。証言をするときは、本当に意を決してやっています。証言をすることで、その時のことがフラッシュバックのように蘇ってきて、その後怖い表情になった方もいました。夜にうなされる方、一人で眠れない方もいます。体調が悪いと軍人のことを夢に見てしまい、恐怖に苛まれる方もいます。開放後(戦後)70年たった今でも、話せる方も話せない方も皆、被害のことやそれにより受けた深い傷をずっと引きずって生きているのです。
 ハルモニの証言を通訳して伝える中で、日本男性である自分がどう伝えることが出来るのかを悩み、男性である自分が問われているのだということはずっと考えてきました。例えば、自分が誰かを好きになって性的な関係をもった時とか、性に関わることが出てきた時など、自分の性に対する姿勢を考えるときに「慰安婦」問題はどうしても影響します。「慰安」という言葉にしても、本当に「慰安」だったのでしょうか。日本社会では、男性中心の性の表現が受け入れられやすく、自分もそういう中で生きてきた。強かんだけでなく風俗やアダルトビデオ、セクハラなど性的に不快に思ったり、相手を傷つけたりすることは、実は身近なところにたくさんあります。「性暴力」ではなく「慰安」だったんだよという方が、日本の社会には受け入れられやすいのではないでしょうか。ましてや戦争中だったんだから仕方なかったんだと。そういう人たちに「慰安婦」問題をいくら話しても通じない。そこには、性の考え方が大きく影響していると思います。
 「慰安婦」問題に関わってきた中で日本の人に伝えたいことがいくつかあります。
一つは、「慰安婦」問題は日韓だけの問題ではないということです。戦争中、日本の軍隊が移動すればそこに「慰安所」を作ってきたわけで、それは、韓国だけではなく、北朝鮮、中国、台湾、フィリピン、インドネシア、東ティモール、マレーシア、オランダなど、私たちが思っている以上に「慰安所」があちこちにあって、たくさんの女性に被害を強いてきたのです。そういう事実を日本では伝えられていないので、日本の人はよく知りません。そこに日本の人たちが考える戦争とアジアの人たちが考える戦争に大きなズレがあると思います。さらには、最近では「慰安婦」問題が日韓の対立のように報道されていて感情的なものを煽っています。国際的に見ると、日本だけが内向的に狭い方へともっていっているようで、ズレはさらに大きくなっているのではないでしょうか。
二つめは、加害に向き合うことの大切さです。被害にあった人たちは、もう20年以上証言をし続けている。なぜ、被害を受けた人たちばかりが証言をしなければいけないのか。その上、嘘を言っていると言われ、お金をもらったんでしょと言われ、自分で選んだことでしょうと言われる。どうして被害者がそのような目に遭わなければいけないのでしょうか。一方で加害者の方には何もないということは、この20年間、全く変わっていないのです。
三つめは、人種差別をやめましょうということです。はっきり言って、日本はアジアの国々と手を結べていません。経済成長が日本より遅れている韓国やアジアの国々に対して劣っていると見てしまう人が多いように思います。経済的なものをものさしにして人を測る意識を捨てて、アジアで手を結び合うことが大切だと思います。そして、アジアと手を結ぶときには、戦争のことは避けて通れない問題です。日本人は、戦争のことを出すと、批判されるのではないかというのもあってなかなかそこへ入っていけません。今こそ、日本の戦争のことをちゃんと学んで、手を結び合うことが大切なことだと思います。
最後に、伝えることの大切さです。戦争の当事者がどんどんいなくなっていく。当事者に会えなくなる人たちが、次の世代にはどんどん増えていきます。戦争の当事者に会えた人たちは、当事者の思いや歴史の真実を伝えていかなければならない。今を生きる、僕らの世代だからこそできることだと思います。戦争のことや零戦のことなど、妙に美談に描かれていることが多い昨今ですが、そうではなくて、当事者の本当の思いを伝えることが大切なことではないでしょうか。

(2014年12月29日 韓国釜山にて 文責:宮下かなえ)

チアリ教会・資料館見学

※以下の写真と説明はインターネットからの引用です。

836083A8380838A8BB389EF81E8E9197BF8AD9.jpg写真、手前が記念資料館、後ろが教会。堤岩里(チェアムリ)は水原の南西20㎞にある静かな農村です。90年前の1919年4月15日に事件は起きました。当時朝鮮半島全土には「三一独立運動」が燎原の火のように広がっていました。水原を中心としたこの地域の独立運鎮圧のために差し向けられた日本軍が,訓示すると称して同里内の運動参加者を礼拝堂に集め,堂内に閉じ込めて射殺,建物もろとも焼き払った。日本軍は近隣の村々でも虐殺,放火をほしいままにした。翌4月16日に現地視察に訪れた駐京城アメリカ総領事館領事、在京城米国人宣教師、AP通信の京城特派員はこの事件に関する報告書を作成・本国への提出を行い、さらにその数日後には駐京城英国総領事館からも現地調査団が現地に送られ、事件は日本軍による虐殺事件として世界中に報道された。836083A8380838A2390l8D87919295E6.jpg

日韓条約締結直後の1965年10月、戦後初めて現地を訪れた日本人のキリスト教牧師と大学生らが,謝罪の意味を込めて教会の再建を申し出ますが、献金は拒否されます。しかし、委員会は「韓国堤岩里教会焼討ち事件謝罪委員会」をつくり、募金活動を開始します。そして4年足らずで目標の1千万円を達成しました。最終的にはキリスト教団の仲介もあって,遺族側も日本側の誠意をくんで資金の受け入れを決め、事件の50周年にあたる1969年4月15日に教会再建の起工式が行われました。
【23人合葬墓】村から数キロ離れた共同墓地に埋葬されていた遺骨を発掘し,記念館,教会の裏の丘にあらためて埋葬された墓地です。事件から63年後の1982年のことでした。
【23人象徴造形物】記念館,教会に至る坂の途中あります。大小23の円柱の中に大きな円柱がありました。

ナヌムの家訪問交流・歴史記念館見学

83c83A815B8381839383o815B.jpgソウルから南東30km、京畿道(83n838B838283j82CC98b82F095B782AD.jpgキョンギド)広州(クァンジュ)市はずれの静かな村に日本軍「慰安婦」被害女性達が共同生活を行なう福祉施設「ナヌムの家」があります。歴史館という名のその博物館は、1998年に開館しました。日韓の市民達の寄付・寄贈により建てられた104坪からなる館内には、各種記録史料、パネル、映像・写真、そして日本軍「慰安婦」被害女性達が直接描いた絵が展示されています。外に出るとキム・スンドッ・ハルモニの描いた「咲ききれなかった花」がモデルになった銅像が敷地中央に見えます。ほかにも、ナヌムの家で亡くなったカン・ドッキョン・ハルモニやキム・スンドッ・ハルモニなどの追悼碑が立つこの庭は「追慕の場」となっています。(説明文はインターネットより) 

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ペチュニハルモニのお墓参りをしました。

82A895E68EQ82E8.jpg今回、IMG_3762.JPG日本大使館前の水曜集会に参加し、また、亡くなられたペチュニハルモニのお墓参りもしてきました。水曜集会は1992年1月8日にソウルの日本大使館前で第1回が開かれ、以降現在まで毎週水曜日に同所、同時刻(正午)に、日本政府に対し公式謝罪と補償を求める訴えを行なっています。

いろいろな国に行きたい               ろう学校高等部1年

IMG_3617.JPG2014年12月28日から2015年1月5日まで8日間、4年ぶりに韓国ツアーに参加しました。IMG_3937.jpg
私は11月から、久しぶりに韓国旅行に行けるのを楽しみにしていました。やっと12月に突入し、わくわくな気持ちになりました。28日になり、夜関釜フェリーに乗って、翌朝韓国につき、いろいろな観光地(世界遺産・博物館など)に言って、時間を大切に使って楽しめました。それと、小さい子2人と一緒に遊んだ時間も楽しかったです。
一番良かったのは、釜山の灯台と釜山タワーと夜景でした。灯台は、目の前に海があって、海は夏になると泳ぎたいくらい綺麗な海でした。釜山タワーでは、自由時間に父と一緒に行ってもらい、思ったより長くてスカイツリーみたいでした。さらに綺麗な空だったから吃驚しました。
釜山の有名な場所に行けて良かったです。夜景は、村山さんに案内してもらいました。釜山で夜景を見るのが久しぶりでした。4年前と比べて、今の方が激しくて凄く綺麗でした。タワー、橋などのカラーが一番好きです。
韓国以外でも、海外旅行に行って、色々なところで観光したいです

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