なめとこ山 会報54号



第54回

私たちはどこから来て、どこへ行くのか ②

皆さんこんにちは。2018年も、もう師走です。そして、「平成最後の〜」というフレーズを頻繁に耳にするようにもなりました。平成の時代の終わりもまた、秒読みです。皆さんは、どんな感慨がありますか。今回の「なめとこ山通信」は、その平成の終わりとは関係なく、(何じゃ、その前振り!)、前回の「縄文」に引き続いて、人類の古代史に思いを馳せてみたいと思います。いつもながらのグダグダな駄文ですが、お時間ありましたらお付き合いください。

 先日、私は、「人類はどこへ向かうのか」と題された、総合研究大学院大学創立30周年記念シンポジウムというものに参加してきました。参加した、と言いますか、ただ講義を聴きに行っただけですが、最近の私の好奇心を大いにくすぐる興味深いお話が聞けて、なかなか面白いシンポジ1.jpgウムでした。きっかけは、私が今勤めている学校の教室に貼ってあったそのシンポジウムのポスターを見たことです。理科系の教員が貼ったのでしょうか。(実際、シンポジウムには数名の高校生も参加していたようでした。)パネラーの中に、新井紀子さんの名前があったので、お話を聴きに行こうと思ったのでした。新井さんは、その時私が読んでいた『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』という本の著者でした。
 『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』は、皆さんの中にも読まれた方がいらっしゃるかもしれませんね。本屋でも平積みになっているのをよく見かけた、今年話題の本と言えるでしょう。著者の新井先生は、東大合格を目指すAI(人工知能)「東ロボくん」の研究・開発を行ってきた人です。開発の終盤、東ロボくんの偏差値は57を越え、MARCHクラスの私大なら合格の可能性が出てきたのですが、結局は東大合格は無理!と判断され、今後の研究は断念されてしまいます。東ロボくん、国語や英語で得点が取2.jpgれないのです。それは、東ロボくんが、意味を理解しないAIだからだというのです。問題は、読解力でした。AIとは所詮コンピューターで、コンピューターに出来ることは計算だけだと、新井先生は言います。確かにそうでしょう。「I love you.」を、「月が綺麗ですね。」とは絶対に訳さないのがコンピューターです。ところが、新井先生が最近始めたある調査によって、多くの中高生が、東ロボくん以下の読解力しか持っていないことがわかってきたというのです。新井先生が調査に使った問題は、例えば次のようなものです。

 次の文を読みなさい。
 「仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアにおもに広がっている。」
 この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。
 オセアニアに広がっているのは(      )である。
 ①ヒンドゥー教   ②キリスト教   ③イスラム教   ④仏教                    (正解②)

 これは「係り受け」の問題ですが、この問題の正答率が、全国623名の中学生で62%、745名の高校生で72%だったそうなのです。新井先生は、中学生の3人に1人以上がこの問題に正答できなかったということに衝撃を受けます。調査は特定の学校の児童生徒に限られていたかもしれませんが、確かに調査結果は、今の子どもたちが、問われている内容を理解できないことの表れかもしれません。話をシンポジウムに戻しますと、この時の新井先生のお話も、ほぼ、『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』の内容に沿ったお話で、「だから読解力をつけましょう、読解力は今からでも身につきます。」というものでした。私も、高校で国語を教えている教師として、何をすべきだろうかと考えさせられました。また今現在、小学生の子どもを持つ親として、うちの子は大丈夫だろうかという不安な気持ちにもちょっぴりさせられ、子どもたちのこれからが大いに気になってしまうのでした。
 皆さんは、「シンギュラリティ」という言葉をご存知ですか。発達したAI・人工知能が人間の知性を超えてしまう、その技術的特異点のことを言います。SF映画でよく描かれる、ロボットが反乱を起こしてしまうというあれも、シンギュラリティを経た未来の姿です。しかし新井先生は、「シンギュラリティは来ない。」と言います。AIが、計算しか出来ないコンピューターである限り、意味内容を汲んで背景を理解する力はないからです。ところが、人もまた、話し相手の気持ちを汲み取れなくなったり、他人のことを思い遣れなくなってしまっては、違う意味で、人がコンピューターに追い越されてしまうシンギュラリティはやって来るのではないでしょうか。新井先生は、教科書の読めない子どもたちが社会人になる近い将来、このままでは多くの人が、AIに仕事をとられてしまうであろうことを危惧しています。はたして、便利なはずのAI技術が、私たちの暮らしを脅かす日が来るでしょうか。その時、私たちはどこへ向かっていくでしょうか。

 さて、シンポジウムで新井先生の次に登壇したのは、定藤規弘 生理化学研究所教授でした。定藤先生は、「脳科学と進化 サピエンスからネアンデルタールまで」と題した講演で、考古学と脳科学がコラボした共同研究の話をされました。その話もまた、なかなか興味深いお話でありました。私たち現生人類ホモ・サピエンスは、今ではたった一種のホモ属となってしまいましたが、数万年前までは、ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)と共存していたと考えられています。そこで、私たちが今後どのような進化の道を歩むのかということについて、そのヒントは、最後の隣人であったネアンデルタール人がなぜ消滅してしまったのかを探求することにあると、定藤先生は考えます。そして、サピエンスが残り、ネアンデルタール人がいなくなったその交代劇の原因は、学習能力の差にあると仮説を立て、両者の頭蓋の比較分析を行います。その結果、サピエンスはネアンデルタール人と比較して、小脳が大きいということがわかったそうです。小脳の大きさは、実行機能(作業記憶、認知的柔軟性)の促進と相関関係があるそうです。体格に勝り、大脳の大きさもサピエンスに引けをとらなかったネアンデルタール人が、やがて消滅してしまったのは、実行機能を司る小脳の大きさの差によるものだったということなのでした。私たちの隣人であったというネアンデルタール人のことを、私はこの時初めて意識しました。そして私も、ネアンデルタール人はなぜいなくなってしまったのかと、考えてみました。
 初めに私が思ったことは、遅れてユーラシア大陸に進出したサピエンスが、既にその土地に暮らしていたネアンデルタール人を力で追いやって、やがて彼らを絶滅させてしまったのではないかということです。これは、「交代説」と呼ばれています。現代においても尚、暴力や略奪や紛争や戦争をやめることのない私たちサピエンスには、暴力の衝動のような何かが、ゲノムの端に塗り込められているのではないでしょうか。…しかし事実はそうではなく、ネアンデルタール人とサピエンスは、ずいぶん長い時代をともに生き、さらに交雑もあったということなのです。ネアンデルタール人が大量殺戮されたという痕跡も出てきていないようです。生活スタイルを変えずにゆるゆると生きていたネアンデルタール人は、新しい何かを常に追い求め言葉を交わして意思疎通し合うサピエンスに、ゆるゆると生活の場を追われ、やがて絶滅してしまったというところが、答えなのでしょうか。定藤先生は、サピエンスとネアンデルタール人の、小脳の大きさの違いに注目し、それが両者の命運を分けた鍵だと言います。ある人は、言葉を巧みに話せたかどうかがポイントだと言い、他には、狼から飼い慣らした犬が、サピエンスの生き残りに関わっていたという説もあります。
 サピエンスとネアンデルタール人との関係を少し調べてみて、弥生人と縄文人との関係のことを私は思い起こしました。縄文人は、全くいなくなってしまったわけではありませんが、後から入って来た弥生人に、追われていった立場の者と言っていいでしょう。それで(縄文系の)私はなんだか、ネアンデルタール人に郷愁を感じるのです。ホモ属の、最後の種となってしまった私たちサピエンスは、今度は誰を、地球上から消し去ってしまうのでしょうか。それが、お互いがお互いを、ということになってしまわないようにと祈らずにはいられません。

 先日、娘の小学校で学芸会がありました。娘の学校では学芸会と展覧会を隔年で交互に開催するので、5年生の娘は小学校最後の学芸会となりました。5年生の出し物は、劇団四季のミュージカル「エルコスの祈り」でした。お話はこんな感じです。〜50年後の未来に、問題児や落ちこぼれを集めて再教育を行う「ユートピア学園」という学校がありました。そこでは規律が重んじられ、生徒が夢や希望を持つことは禁止されています。ある日、ストーン博士が、自ら開発した教育型ロボット「エルリックコスモス(通称エルコス)」を売り込みに学園にやって来ます。理事長は、学園の経費削減のため、何でも完璧にこなす優秀なロボット・エルコスを学園に置くことにします。しかし学園の思惑とは違い、エルコスは温かい気持ちで子どもたちの個性を引き出していきます。やがて子どもたちも心をひらき、仲間の大切さ、人を思いやることの素晴らしさに気付いていきます。そして最後にエルコスは…。とまぁこんな具合です。ちなみに、5年生の劇でうちの娘は、主役のエルコスを演じました。(ちょっぴりそれが言いたかったのです。親バカですみません。)
 50年後、私たちは夢も未来も語れず、学校は規則で縛られているでしょうか。私たちを救う、感情を持ったアンドロイドのエルコスは、私たちの前に現れるでしょうか。未来のロボット・エルコスも、私たちの隣人であったネアンデルタール人も、私たちを残していなくなってしまうのです。さて、私たちはどこへ向かえばいいでしょうか。

 Society 5.0 という言葉があります。人は、原始の狩猟採集社会から農耕社会を築き、産業革命を経て工業社会を生み出します。さらに情報技術の革新によって情報社会がもたらされたのはついこの間のように感じますが、今、人間社会はさらに新しいステージである Society 5.0 (政府は、「超スマート社会」と言っていますが。)に立たんとしているらしいので3.jpgす。そのネーミングはどうも…という気がしますが、確かに、何だかもう、新しい時代に突入しているように私も感じます。そしてこれからも、私たちを取り巻く環境は、目まぐるしく変化していくことでしょう。私たちは、何から学び、何を指針として先へ進めばよいでしょうか。AI、シンギュラリティ、ネアンデルタール人、縄文人、そしてエルコス…。頭の中が、グルグルとしているところですが、前に進みましょう、前に! 
 どこへ向かえばと言うのなら、私は前に、進みます。

この本も、参照しました。すごく面白い本でした。