地球時代の 会報59号



第59回

職業に貴賎なし、という心の在り方

この頃、日本人という“グループ”の特色ってなんだろう、と考えることが多くなりました。
私は大人になってから、かなりの年月を日本を離れた外国で暮らしています。が、国籍は日本ですし、日本には大切な友人や家族もいます。私にとって日本は紛れもない祖国です。
そんな私が日本を意識するのは、南アのメディアに流れてくる日本であったり、また、南アで知り合った日本人の方々と接触がある時でしょうか。

今回、南アに新しく着任された日本の大使とお話する機会があって、その席で大使から、
「日本人が得意としていることで南アフリカに貢献できることは何だと思いますか」
という質問を受けました。
すぐ頭に浮かんだのは、私が私の両親に言われて育った、職業に対する考え方でした。
私は1958年生まれで、東京の郊外で育ちました。両親は東京近辺で育った人たちだったので、封建的なところはそんなになかったように思います。
3姉妹の私たちに将来はこうしろ、ああしろ、といった親の希望を押し付けることもなく、それぞれが自由に子ども時代を過ごし、それぞれの道を歩んでいます。
ただ、両親にはいくつかの信条がありました。その一つが、「職業に貴賎なし」という考えです。

戦後の混乱期を生き延びてきた両親ですから、それこそ、生きていくためには何でもしたでしょうし、あの仕事がいい、この仕事がいい、などと言っている贅沢はそうなかったのかもしれません。
母は13人兄弟姉妹の長女で、女学校を終えた後、銀座の松屋デパートで経理の仕事をしていたようです。でも、その頃の事ですから、先輩の男性職員からの“しつけ”と言う行儀作法の訓練はそれはそれは厳しいものだったようです。間違ったお辞儀の仕方をしたら、定規で嫌と言うほど叩かれることもあったとよく話していました。
父は、祖父が経営していた証券会社で働いていましたが、その会社が倒産してからはいろいろな職業を転々としたようです。
私たちが物心がつく頃には、両親は東京の郊外で小さなタクシー会社を経営していました。
私は中学生のころから、会社でお客さんの電話を受け、無線でその仕事を流すような業務も“アルバイト”としてやっていました。接客業として、どのようにお客さんに対応するのか、は、母親が仕込まれた東京のデパートでの経験が反映していたかもしれません。
「どんなお客様にも丁寧に。その人がどんな会社の人か、とか、その人の立場とかは関係ないからね。その人の立場に立って、何が一番いい方法かを常に考えなさい」
1970年代の東京で、タクシーを無線配車するという仕事は単純ではありません。そのお客様のいらっしゃる場所はどこか、最寄りにいるタクシーはどこか、同じような場所にいる複数のタクシーがあったら、どの運転手さんにどのお客様を担当してもらうか、などなど。いまだったらAIやらGoogle Mapなどで瞬時位置確認などができるでしょう。が、その頃は、自分の知識と壁に張られた大きな地図のみでした。
電話を受けて、タクシーを配車する、というのが一般的なタクシー会社の業務ですが、時折、近くのお客様が徒歩で事務所までいらして、タクシーに乗るということもありました。
母が事務所にいる時は、冬であれば暖かいお茶、夏であれば冷たい麦茶をタクシーに乗る前にお出しすることもありました。
「どれだけ費用がかかるわけじゃなし、でも、暑い日の冷えた麦茶はありがたいものよ。寒い日の暖かいお茶もね」
と、江戸っ子できっぷのよい母から聞かされていた私は、ある夏休みの一日、一人で事務所で電話番をしていた時、たいそう体格のよい年配の男性が事務所にタクシーを頼みに来た際、麦茶をいっぱい差し上げました。母だったらこういう時は麦茶をお出しするだろう、と思いながら。そうすると、その男性は大げさなほど驚かれ、感謝してくださいました。
その時の体験は私のこれまでの職業観を大きく支えていると思います。
どんな仕事にも誠意をもって、自分ができる最善を尽くす、という境地に於いて、それこそそれがどんな“職業”であるか、は関係ないのかもしれません。

しかし、現在、途上国に住んでいてもいなくても、その収入の多さ低さにより、職業に優劣をつけてしまうのはどうしても避けられないことなのでしょうか。
南アフリカ1.jpgプレシャスは、日本へラーメンの修行に行ったこともあります。一般的な日本の家庭料理、とんかつ、ハンバーグなど、なんでも美味しく作ります。 特に、途上国では家事労働、庭の清掃、などに従事する人たちが非常に低賃金で働かされていることもあり、そういった職業を差別したり、自分たちとは違う種類の人間なのだ、というような感覚を持ってしまう人がいるのも事実です。
でも、これは考え直したいことです。
我が家では、複数のスタッフが、家事労働からだんだんステップアップしていって、いまではお弁当事業のスタッフに昇進したり、パートタイムの清掃スタッフがフルタイムとして、経理の下準備をしたり、ということが普通の事、として行われています。
が、こちらの白人系、インド系南ア人の友人が我が家に来て、驚くことの第一がこれなのです。
「え?家事労働から社員になったの?」
「え?お昼をスタッフと同じテーブルで一緒に食べることもあるの?」
はたまた、
「どうやったら、子どもたちがスタッフに挨拶したり、仲良くしたりできるのかしら」
などという質問さえ受けた事があります。
そう言った時、私は、
「いや、普通にお付き合いするだけよ。彼らたちは家事労働が仕事で、それをしてもらっているだけ。私が通訳や日本語、英語を教える先生をするのと変わりないでしょう?」
と答えてきました。
南アフリカ3.jpgペイシェンスは、フルタイムになったばかり。いま、経理の仕事の最初の一歩、レシートの整理などを奮闘中。 が、これが実は簡単なことではなくて、そうではない社会に育った人たちにとって、職業や収入の違いをもって敷かれてしまう境界線を乗り越えるのはかなり困難なことなのだ、と認識せざるを得ないことが起こるようになってきました。
残念なことに、南アに住む他のアジア系住民の中で、アフリカ系南ア人のことをあからさまに人種差別して、労働賃金を相場よりもさらに低く抑えたり、彼らに交通費を一切払わなかったり、ということを目撃する機会がありました。その時、さすがに「それは違うのでは?」という意見を持つ私に、彼らは、こう言ったのです。
「アフリカ人は私たちアジア人とは違う。彼らは少ないお金でもやっていける。仕事があるだけ感謝するべき」
言葉を失いました。
私たちアジア人は言ってみればアフリカで住むことを許してもらっている客人なようなものではないでしょうか。客人であれば客人としての仁義もある、というのは私が古い人間なのでしょうか。

南アフリカ4.jpgジェフはマラウィから来ています。ガーデニングが得意で、いろいろ新しい方法にも挑戦中。 人種差別がまだまだ色濃く残る南アフリカで、この人種間の問題を解決していくたのめには、まず、すべての職業があってこそ、みんなの生活が成り立つ、という事実をみんなが大切に思うことが必要でしょう。皆が皆、弁護士、医師では社会は成り立ちません。が、もちろん、家事労働などの職業をしても、生活が成り立つだけの収入を得ることも重要です。
アジア人に限らず、職業差別的発言をする人たちのことを考えてみると、もしかしたら、彼ら自身が、例えば、「職業に貴賤無し」と言った倫理観が通る社会に住んだことがなかったのかもしれないのです。
日本大使の「日本人が得意としていることで南アに貢献できることは何だと思いますか」という質問には、私は、日本人だからこそ、人種、職業の区別なく、個人を尊重する姿勢で南ア人とお付き合いしていくことなのでは、と思っているのです。
少なくとも、私が育った日本では、「職業に貴賤無し」という価値観は生きていましたし、そう思う自分でありたい、と思います。
そんなことを毎日の生活で、仕事で実現していきたいな、と考えています。