なめとこ山 会報60号



第56回
   「世界は謎で満ちている」を読んで

 皆さんこんにちは。5月のうちから夏日、真夏日といった暑い日が続きましたが、いかがお過ごしでしょうか。今年の夏も、そして来年のオリンピックも、酷暑となりそうな予感が早くもします。日本の夏は、これからどうなってしまうのでしょうね。
さて、今回の「なめとこ山通信」ですが、相変わらずの同じようなネタで乗り切ります。先日まで、あちこちの高校で1学期の中間試験が行われていたことと思いますが、私の務めている高校も同じです。その試験に当たって、高校生たちと一緒に考えたことを、今回だらだらとここに綴ってみます。お時間ありましたらお付き合いください。
 私は現在、普通科の高校で1年生に国語を教えています。高校1年生の国語は「国語総合」という授業になります。彼らが中学を卒業して最初に習う単元は、手塚治虫による随想「世界は謎で満ちている」に設定しました。手塚さんが、ナスカの地上絵やイースター島のへそと呼ばれる石などといった具体例を挙げながら、そのような謎に興味をもって想像を膨らませることはなんとも楽しいことではないですか、と優しくわかりやすく語りかける、親しみやすい内容となっています。
 筆者の手塚治虫さんは、もちろん誰もが知っているあの、手塚さんです。昭和3年生まれで、平成元年に亡くなっている、まさに昭和の人ですね。(ちなみに、夏目漱石は江戸時代最後の元号、慶応3年生まれで、大正5年に亡くなっている、まさに明治の人だと私は思います。漱石は、新しい時代である「大正」に生きる若者に対して、「自分で自分の心臓を破って、その血を」「浴びせかけようとして」、『こころ』という小説を書いたのだと思うのです。)手塚治虫の代表作である「鉄腕アトム」は、1952年(昭和27年)から連載が始まっています。物語の設定では、2003年4月7日がアトムの誕生日です。原子力モーターで動くロボットのアトムは、手塚さんが亡くなってから十数年後に、生まれているのですね。
 手塚さんの没年は平成元年ですから、この「世界は謎で満ちている」という文章は、すでに30年以上も前の文章ということになります。それでも、ずっと教科書に載り続けてきたのは、この文章の内容が、まったく古くなっていないからなのでしょう。
  この随想で、ナスカの地上絵を実際に見に行った手塚さんは、「まず意外にもそれらは想像通りであったというか、実際に見ても、それほどショックは受けなかった」と言っています。確かに、ナスカの地上絵を実際には見たことのない私たちも、なんとなくこんなものだろうなというイメージを、これまで見てきた資料や映像から、持ってしまっているかもしれません。しかし実際に手塚さんに「何だ、これはいったい!」と言わしめたのは、「台地に描かれたその絵の周囲に無数に引かれた直線の群れ」だったのでした。それは本当にまっすぐに伸びて、山を一つ越えて引かれているものもありました。それらがいくつも重なり合って縦横に走っていて、まったく意味不明であったというのです。同行した飛行機のパイロットが、「宇宙人のしわざですよ。」と言うのは、無理もありません。ただ手塚さんには、「人間のしわざに思える。」と言うのですが、「その意図も技術もすべて謎なのです。」と書いています。そして30年以上たった今も、ナスカの地上絵に関して多くのことは、謎のままだと言えるのです。

ナスカ地上絵.jpg

  「世界は謎で満ちている」。文化や科学技術が発展して、多くの謎とされていたことが解明されても、その先にはまた新たな謎が生まれるものなのです。私としても、何だろう、どうしてだろうと思うことに、次から次へと遭遇します。それでついつい、答えの出ないままにその思いを文章にしてきたりしたのでした。この「なめとこ山通信」の第16回では「山は誰のものか」という文章で、自然保護のことや自然の中で生きること、例えば高尾山に大勢で登るのはどうなのかということも、皆さん考えてみてくださいと提案したような気がします。第18回では「脳の不思議を考える」と題した文章を掲載しましたが、その時は自分が健康的体力的に、自分の体(脳)の「意のままにならなさ」を痛感していた時期であったからかもしれません。第27回は「あなたは「東北」を知っていますか」と、挑発的なタイトルになりましたが、福島の原発事故を受けて、あの時の自分の一番の謎が、「どうしてこんなことになってしまったのだろう」ということだからでした。第41回は「暴力はどこからきたか」、第48回は「「ことば」はどこから来たのか」と続き、自分の中では「どこからシリーズ」となっています。もちろんそれらは、第39回「私たちはどこから来たのか、私たちは何者か、私たちはどこへ行くのか」と、前々回(54回)の「私たちはどこから来て、どこへ行くのか ②」で書いたような、「私たちは何者なのか」という、自分にとっての永遠の謎から派生しています。そしてそれらは、答えも出せないのについつい考えてしまう、私にとっての永遠の謎なのです。
 今回、高校生たちと手塚さんの文章を読んだ時に、「みんなにとっての謎って何だろう?」と、聞いてみました。色々な意見が出たのですが、例えば、「UFO」や、「死後の世界」と、ポンポンと単語で返してくる生徒もいました。それは確かにそうでしょう・・・。ただ私としては、これからの未来を生きる若者として、謎と思えてくることは何だろう・・・というような方面からの回答を期待していたのでした。それで、「「なぜ〜 」で始まる文章で、あなたの考える「謎」を具体的にわかりやすく書きなさい。」という課題を出してみました。生徒たちの多くは真面目に考えてくれて、本当にたくさんの意見が聞けて、生徒の文章を読んでいるだけで楽しかったです。以下にちょっと、抜粋してみましょう。
 多かったのは、「なぜ人は死ぬのか」ということでした。それは私が、現代の問題として、「人は今後、死を克服しようとして進化する」という話をしたせいかもしれません。そもそもそれは、『ホモ・デウス』という本からの受け売りなのですが、こんな考え方です。生物の細胞はあるサイクルで入れ替わっていて、常に新しく再生しているのに、いつかその働きが終了して生き物は死を迎えます。そこにはきっと、何かの因子が働くのではないか。その働きを抑えれば、人も例えば縄文杉のように、三千年くらい生きられるのではないか。戦争と飢餓と疫病とを克服した人間が、次に克服しようとしているのは自らの「死」の問題で、人は自ら神(全能の神ゼウス)になろうとしている。一部のホモ・サピエンスは、ホモ・デウスになろうとしている、というのがその本の著者ユヴァル・ノア・ハラリの主張です。ハラリでなくても、単純に、「なぜ死ぬのだろう。」「死んだらどうなるのだろう。」というのは、生きている私たちに常にわき上がる謎と言えます。若者であっても、いや若者だから? そんなことを考えるのだなぁと感じました。
  「なぜ〜 」という文では書きにくかったかもしれませんが、「なぜ宇宙は存在しているのか」といった、宇宙関係の謎も多くみられました。宇宙の始まりは何だったのか、宇宙に終わりはあるのか・・・。そう言えば、地球誕生の謎を解明するために、小惑星リュウグウでサンプルを採集するミッションを経て、来年「はやぶさ2」が帰ってきますね。今のところ計画は順調に進んでいるようですが、どうなるでしょうか、来年がとっても楽しみです。
  「なぜ人は笑うのか」そんな謎を書いた生徒もいました。生き物の中で、人間だけが笑うのはなぜか、ということです。・・・確かに。ただ、人間だけが言葉を話し、人間だけが戦争をする。「なぜ人は言葉を喋れるのか」「なぜ人間は戦争をするのか」。人間ってやつは、一体何なんでしょうか。「なぜ人は、本当にいるのかわからないのに神に祈るのか」「なぜ、親の“今度ね”は、来ないのだろうか」。そんな可愛い謎もありました。

  時代は令和になりましたが、現実の世界には、人類の苦難を解決してくれる万能ロボットのアトムは、まだ生まれていません。私たちが子供の頃に読んだSF小説にはよく、タイムマシンが登場しましたが、それが発明されることはないでしょうか。若い時に見た映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」で主人公がタイムマシン「デロリアン」に乗って訪れる未来とは、2015年でした。同じく私が若い時に読んだマンガ「AKIRA」では、第三次世界大戦で荒廃した東京に代わって「ネオ東京」が建設されているのですが、その設定が2019年となっていました。現実の時代が、フィクションで想定した時代に追い付いた、とも言えるでしょうか。
しかしそれでも、現実の世界は謎で満ちているのです。私たちは大きな発展を遂げ、様々な謎を解決したかに見えますが、私たちが私たちのことで本当にわかっていることは、まだまだほんの一握りのちっぽけなことだけ、なのかもしれません。