地球時代の会報66号



第56回            

見返りが広がっていく可能性

日本とは文化も習慣も違うアフリカ各国で、仕事やボランティアをする日本出身の人たちが増えてきました。
ただ、その中に、
「自分は他人のためにいいことをしているのだから危険な目にあったり、人に裏切られたりするはずがない」
と思っている人は少数派でしょう。あるいは、そう思ってしまう人は途上国勤務には向いていないと思うのです。

20年ほど前にマラウィに住んでいた時、首都リロングェに住む企業経営者だった韓国人夫妻が、元従業員に惨殺される事件がありました。その事件後、多くのマラウィ人の友人たちが口を揃えてその事件を非難しました。
「あんなにいい人たちだったのに」
無念であっただろうご夫妻のその時の心情を慮ると簡単に事態を把握することさえ不可能でした。
ただ、どんな出来事にも裏もあれば表もあるのが人の世の常です。物取りではなく、顔見知りの犯行ということに多くの人が衝撃を受けました。が、当時、夫と話したのは、たとえ外からどんなに善行を積んでいるように見えたとしても、また実際、現地の人のために心血を注いて仕事をしていたとしても、それがすべての出来事の免罪符にはならない、という自覚でした。
途上国は複雑です。
貧しい人たちとそうでない人たちの差別が目の前に可視化されているのです。

私は17年南アフリカに住み、ありとあらゆる可能性を探りながら一つでも雇用を増やそうとしている毎日です。が、私は自分の生活がどれほど大多数の南ア人に比べたら恵まれたものであるかを痛いくらいに自覚しています。これがいつか誰かの嫉妬の源になったとしても、「どうして?」とは思いません。
でも、だからと言って、毎日びくびくして暮らしているわけではありません。反対に、目が回るほど忙しく多岐に渡る仕事を楽しくさせてもらっています。
2020年はコロナ渦で、元々の本業である語学教育や通訳・翻訳の仕事が完全に無くなりました。ところが、2年前に引き継いだ日本食のお弁当の事業で、9名の従業員を何とか解雇することなく仕事を続けられています。もちろん、皆がお給料の大幅カットを受け入れてくれたからなのですが。

お弁当の主力メンバーであるプレシャスは、最初はお掃除専門の家事労働のために2004年に雇用しました。彼女は日本に行く機会にも恵まれて、2010年に夫が急逝した時も私をいろいろな面で支えてきてくれています。彼女の家族とは家族ぐるみのお付き合いで、冠婚葬祭やらクリスマス時期の我が家での昼食会など、いまでは親戚のような存在です。
掃除要員として働き始めたプレシャスはその仕事への熱心さ丁寧さ、また明朗な性格なども幸いして、メキメキとその頭角を現しました。亡くなった夫とともに彼女の将来性にか賭けよう、と思ったのは働き始めてもらってからそう時間はかかりませんでした。
彼女は高校もきちんと卒業していました。南アフリカで、タウンシップ出身の黒人女性が高校を卒業するのは簡単なことではありません。事実、彼女の7名いる姉妹の中で高校卒業資格を持つのは彼女ともう一人の妹だけでした。
そんなプレシャスにはまず運転免許を習得させました。実は途上国で運転免許を持つ、というのは大きなキャリアアップにつながるのです。話はそれますが、エチオピアにいたときに我が家の夜警をしてくれていた一人の青年がそれはそれは真面目で優秀でした。彼にも私たちがスポンサーとなり運転免許を取ってもらったのです。今では彼はJICA(国際協力機構)エチオピア事務所の筆頭運転手です。礼儀正しい彼はいまでも時折近況を教えてくれます。

運転免許収得後、プレシャスには当時、会社の将来像のひとつであった日本食ビジネス進出のため、日本食調理の方法も教え始めました。
数年後、彼女は急なお客様が来ることになっても、一人で車で材料を調達し、ほとんどの料理を完成できるまでに成長していたのです。とんかつ、ハンバーグ、かつ丼、ローストチキン、などなど、日本の普通の家庭の食卓に登るものは、何でも作れます。
ここまでの彼女の成長は彼女自身のがんばりと私たち家族と彼女の信頼関係があったからこそ、と自負しています。
さて、その彼女、実は、幼い頃からの夢があったのです。それは幼稚園の先生になることでした。もちろん、料理とは畑違いの分野です。親戚の援助もあり、ここ数年、彼女は通信教育で幼児教育の勉強をしています。
最初、そのことを聞いた時、さすがにここまで育ててきて、彼女という人材が会社から去っていくのは大きな痛手だ、とがっがりしてしまったのは事実です。
が、一晩でその考えは改めました。
逆に、これは素晴らしいことだ、と思い直したのです。私は彼女のこの目指す方向を私への裏切り、とはまったく思いません。彼女が私に寄せる信頼が、彼女をここまで到達させた、と思うからです。自分を信じ未来に向かうことができたその原動力の一つが私との関係性だったと誇りに思います。
一人の女性がしっかりと自分の人生とその時の仕事に向き合い精進し、幼い頃からの夢の実現に向かって歩いていく、というのは何という頼もしいことでしょう。
お弁当の仕事は、彼女の妹のペイシャンスが順調に育ってきています。彼女も生真面目で本当にこの2年の成長には目覚ましいものがあります。来年はペイシャンスにも運転免許を取ってもらおうと思っています。

自分のしていることに対する見返りを自分だけがその恩恵を受ける側とだけしていると、がっかりすることや残念に思うことが当然出てきてしまいます。
でも、その「見返り」そのものを、自分を超えて広がっていくことだ、と捉えることができると、人生、捨てたものじゃありません。素敵なことがどんどん無限に増えていく気がしています。

吉村さん孫.png編集部より この原稿をいただいた直後の11/23、吉村さんのお孫さん(翔子さんのお子さん)が誕生しました。元気な男の子です。詳しくは次号以降で吉村さんに書いていただきますが、グローバル社会の担い手がまた一人増えて、これからの一家の活躍がさらに楽しみになりましたね。